【芸術の道は茨の轍(わだち)であれ】

〜冒頭概要〜

高校受験の始まり〜高校生になる過程

下記の内容はすべて「実体験」です。

高校受験。高校受験が私の人生を大きく変換してくれた扉であった。

 

 

 

 

 

テーマ

【存在価値は自分で決めて。

他人から嫌われても一貫性を貫き通して】

 

 

 

 

結論【肉感的に満たされても精神面が乏しいと満たされてもいない】

 

 

【本題】

 

 

 

〜【二極化している肉体と声(精神面)の悩み】〜

 

悩みが【解決した自分】から【過去の自分】に一言コメント程度だけど言いたい。

現在は将来の事が不安ではあるが精神面を重視することになった。物質的に満たされても満たしきれない自分に嫌悪感を抱いた。

 

 

浮世的に物質的に満たされても精神面が乏しいと満たされていない現状。

精神面の病気は一生ものであり、危うい状況になりかねない。

自殺してしまう展開もありがち間違いない現状になりえる。

表面面で満たされても精神面が乏しいと満たされた幸福感・至福感は得られない。

 

極論でご意見すると自分の土台を探すこと。

 

過去の自分の現状を遡ってご説明します。

 

 

 

 

 

 

 

話は昔の私の話。

今では「懐かしさ」さえある愛おしい自分の過去。けど昔は劣弱感も抱きながら不安定な道。

今になって思えばもう昔の話。

 

 

ーーーーどうでしょうか。幼少期頃から「恐怖」や「不安」でいっぱいいっぱいであった。

成長段階で何回も轍(わだち)と鉄の味を舐め、踏んだ。二の足を踏んでしまう。

 

成長段階の中でどこか大切なものを奪われた

のかもしれない。ーーー今思えば懐かしい。

「人と違う」自分がおかしい、もしかしたら発達障害かもしれないと思ってしまったことも。

自分が「へんな」だけで周りは正しいとも。

 

存在ごと消えたいと思うことも、精神的にがんじがられめになってしまい、その上八方塞がりに。

今思えば懐かしい記憶ですが、病院でリハビリを経験し、遊びだがりな時期で丁度、今では幼馴染で人生の基盤になりえる人脈となっているお友達と出会っていた。

 

その影響もあって遊びたかったけどリハビリに行かなないといけないから遊べない。

 

普通の学生が経験しない「体験」もしていると思う。小学生の頃からリハビリに通っていまして、学校では少人数教室と呼ばれる班がありまして、算数だけ特別教室・算数が苦手な生徒たちが行く教室。レベルに分けて選べる。小学校が丁寧でありましたので、中1の頃は中学校のシステムがあまりに疎外(そがい)感を覚えてしまった。

 

そんな事もあって、リハビリ経験・実体験もいつかブログでシリーズ化して書きたいと思っております。その体験も今は思い出。

 

それも今は哲学的なストーリーだ。ヒューマンドラマを見ている気持ちになってお読みくださいませ。

 

中学生まで勉強もスポーツも今ひとつで気後れ何一つ飛び抜けた能力もなく、唯一自慢できる特技は美術のみ。ーーーーその自分が受験生になるその日の物語だ。

 

小学生の1・2年生から習い始めた習い事・家庭教師の先生を受けさせて頂かせて貰っています

中学2年生ぐらいになると当時習い事で家庭教師の先生から「目星がついている学校」「興味がありそうなコース」があるなら教えてと言われた。当時の私は、行きたい学校という『モノ』がなく。

『行けれる学校に行く』という着地点であった。明確な目標地点がなく「入れる枠」があればそこにはいる、以上の考え。

 

一般的な学生は自分の偏差値と志望校のレベルと合わせ線引きするやり方をする。

中3で現実と直面する。直面する内容も偏差値・志望校のレベル・家庭環境の経済的状況によって変わる。

「行きたい学校」と「行けれる学校」の区別。行きたい学校に行かれないと嘆き、親に不満がある、クラスの雰囲気がどこか不穏。けど学校の外に出てしまえば「学び直し」も可能。社会人になってしまえば【社会人枠】で学び直しができる学校も存在。今の時代はオンライン化が進み、オンライン学校も存在する時代だ。ただ私が(当時2018年)中3の頃は「専門学校」「通信学校」はマニアックな方面であって正統派じゃない。邪道で勉強が苦手な子や家がそこそこ裕福な子が行く場所。その中でも轍(わだち)を踏み、

道から逸れた人物が落ちる場所。野良猫の溜まり場みたいな専門学校・通信学校の実態である。直面する現実と向き合う扉が目の前まで迫っていた。高3卒業後のちに理解する実態を専門学校の実態は経営重視であり、お高い学費は学校経営・維持費に回される。直面する前の中3の自分の話、私は勉強が苦手なタイプだったので、家庭教師の先生と中3当時、特別教室に入室している面子であったので特別教室の先生からも「高校のパンフレット」を貰って帰ってきたりする。「絵を描くのが好き」というフレーズが先生たちの探し求めの具材になり、インターネットで検索し、検索に掛かった謳い文句の学校へ【高校のパンフレット】を取り寄せてくれた。

 

学歴として【高校卒業資格は取らない】といけないから、一様高校風らしき場所に行く。これが専門学校・通信学校の生徒たちが直視する現実。その現実を見るを「手前」のページ。砂鉄の匂いがするが轍(わだち)を踏み、二の足を踏みながらも前へ前進していく。だから「手前」のページを巡る。

 

 

 

 

 

「受験」中学3年生時に、特別教室の先生から直面しする受験について『「イラスト・芸術」方面の学校はどうかな?』と一言言われ、諭されたように告げらる。私はどこか「空虚」な気持ちになった。

どこに行けば良いのか分からない。不甲斐ない気持ちになる。ただ将来の夢はある、将来何をやりたいか?はすでに決まっているし、覚悟済みである。しかし目の前の「道」で選択を迫られるのは難しい。

家庭教師と特別教室の先生やらからも「志望学校」を探して欲しいと言われ諭された。

 

当時の私は勉強もスポーツも苦手で劣等感の塊

「自分は生きている価値」も不完全なものであった。

あの頃と比べて今は精神的に満たされ、精神面を優先させることに決定する。精神的な部分を補いながら一歩一歩と着実に進むことが大切。

 

うわべだけの結果で満足はしたくない。本領発揮し、自分の実力がどれほどのものか試したい

ーーーそうなると自分の強味を活かせる場所に行くことになる。

家庭教師の先生に言われた言葉が印象的でした

今まで心の中で言われたいと望んでいた言葉

望んではいたけど現実的に言われるのか?、は

考えものの言葉。

家庭教師の先生が進路を決めかねている私に向かって「ある言葉」を言い放つ。

 

家庭教師の先生は私が「趣味」で今までひそかに頑張って制作していたオリジナル漫画。

二次創作ではなく一次創作の漫画であり、ストーリーも自前。キャラクターだって試行錯誤してキャラクターの輪郭をストーリーで浮き彫りにする方程式の元でやりくりをしていました。

 

私の努力、私の熱量。趣味で制作した作品の「熱量」を家庭教師の先生は褒めてくれた。

熱量とビジョンは伝わると言われました。

私の自作漫画を「努力」と評価してくれた事が

とても嬉しかった。小学生から中学生にかけてまで、ここまで「一つ」の事に向き合える忍耐力、継続力があるとお友達も褒めてくれて嬉しいかった。芸術が得意なお友達と一緒に漫画の読み合いをしていた。お互いにアドバイス交換をして切磋琢磨の日々けどその作業はあくまで「趣味」の領易。私の裏の努力もしらないで悪口を言うやつには正直に言って憤怒の感情がある。「こんなに頑張って努力したのに、絵をうまく書くために練習量があると思っているの?」と怒りの気持ちがふつふつと込み上げる。

その「熱量」と「ビジョン」を具現化し具体的なものにしていく方向性を取る。

ーーーー心に決めた決断。それが一歩、そして

新たな高校生活の幕開けになる。

 

【A O入試】受験でその上作文のテスト。作文は志望動機を伝え、作文を作成すること。

【A O入試】はテストの点数だけでなく、生徒の人柄や熱意があれば入学できる基準点になる

 

志望動機の作文を何度も何度も手直し、直したことが、今でも覚えています。

清書作文を書く際は緊張でいっぱい、ボールペンで書かないといけないから間違えたらいけない。合格が出るまで笑顔が消えていました。

深刻そうな表情でいっぱい負荷がかかり、重くのしかかり、頭の中は「A O入試」でいっぱい

飽和状態。

飽和状態でいっぱい、何処か「身体」が「自分の事ではなく「他人事」」で見ている感覚になっていた。

身体が拒否反応・防御反応で自然と「キャパシティー」を制御してくれている。実は中1の頃、ストレスでいっぱいになってしまい気持ち悪くて吐く。ーーーーーーーーー嘔吐の日々。

お腹は痛くなる、吐き気が止まらない、生理痛の痛みとは「別の痛み」がありました。

放課(休み時間)はトイレに篭ったり、薬を飲んで止める(胃腸薬)。

上記の経験を元に身体が学習している事に気がついた。

ーーーーーーーある日。作文はなんとか合格。合格直後、制服のパンフレットが届きました。制服の値段の高さが目立つが【名古屋の街中の学校】である分かる制服。毎日一年生の頃は制服を貴着して纏って登校。お気に入りの制服になっていたとわかります。上着のコートが私服にも似合いそうなコート。スーツの上に羽織るコートに似合いそうな服。制服のパンフレットで憧れた学校に選ばれた事が嬉しい反面、緊張もあります。お友達関係や授業についていけれるのか?不安と期待の間の気持ちで飽和。

ーーーーーーーーーーAO入試合格・自主推薦

 

ーーー中3卒業・自分の決めた【道】は轍(わだち)の溝が多い。

尚のこと「責任」がのしかかると思えるが責任を果たそうと決めた。これは一種の精神性。

独自の生き方はある意味インフルエンサーのような、YouTubeで活動する方々と似ている。

この上記の話題をブログ記事にしようと決めた理由は【生きる意味を見失わないでほしい】

 

他人からおかしい、嘲笑い、せせ笑いされても

ひんしゃくを買っても「自分を一貫」して突き通すことを忘れないでほしい。最後の一言だ。

上迷通りのようなブログ記事を書くのも何度も迷い、消化不良の気持ちと鬱憤と不屈の精神で

あきらめず最後まで記事を定着させました。

 

ここまでお読みになって下さいましてありがとうございました。たいへん恐縮ですが、感想を頂けると幸いでございます。次回もお楽しみに。